「ら抜き言葉」について、聞いたことはあるけれど、具体的にどういうもので、何が悪くて、どうやって直せばいいのか、分からない方も多いのではないでしょうか?
「グルメサイトで人気のラーメンがやっと食べれた!」
「まさかここから富士山が見れるとは!」
これらが典型的な「ら抜き言葉」です。
正しい文法では
「~がやっと食べ『ら』れた!」
「~が見『ら』れるとは!」
となります。
実は「ら抜き言葉」がいいか悪いかについては、さまざまな意見があります。
今回は、そんな「ら抜き言葉」について、見分け方や誕生の歴史、対策方法などを分かりやすく、徹底的に解説していきます。
これを知らないと、ライターとしてだけでなく、仕事上の文書などでも恥をかくことになるので、しっかりと理解してくださいね。
「ら抜き言葉」とは
いまや日常会話で、当たり前に使われている「ら抜き言葉」。
もはや、どれが「ら抜き言葉」なのかも分からないばかりか、「ら抜き言葉」ということ自体、認識が薄れてしまっているのかもしれません。
そこでまずは、「ら抜き言葉」がどういうものかという基礎的な知識から解説していきます。
可能表現「られる」の「ら」が抜けたもの
「ら抜き言葉」は「~できる」という意味の「可能」を表す表現である「られる」から「ら」が抜け落ちてしまった言葉のこと。
例えば、正しくは「まだ食べられる」と書くのですが、そこから「ら」が抜けて「食べれる」となってしまったのが「ら抜き言葉」です。
そのほかにも、
「着られる」→「着れる」
「見られる」→「見れる」
などが典型的な「ら抜き言葉」です。
いまや、日常的に使われている「ら抜き言葉」ですが、文化庁は、まだ正しい語法だとは認めていません。
国語審議会としては,本来の言い方や変化の事実を示し,共通語においては改まった場での「ら抜き言葉」の使用は現時点では認知しかねるとすべき
引用:文化庁「言葉遣いに関すること」
としたうえで、今後の動向を見守っていく必要があるとしています。
「ら抜き言葉」が使われ始めた時期
では、一体いつごろから「ら抜き言葉」が使われ始めたのでしょうか?
最近の若者言葉のひとつと思われていますが、実はもう少し歴史があります。
文化庁の「言葉遣いに関すること」には、昭和初期から戦後にかけて普及したと書かれています。
いわゆる「ら抜き言葉」とは可能の意味の「見られる」「来られる」等を「見れる」「来れる」のように言う言い方のことで、話し言葉の世界では昭和初期から現れ、戦後更に増加したものである。
引用:文化庁「言葉遣いに関すること」
あるいは、日本語の文法を体系化した松下大三郎氏の「標準日本文法」には次のような記載があります。
被動の助辞「られる」の「ら」を省略して用いるのは「起きられる」「受けられる」「来られる」を略して「起きれる」「受けれる」「来(コ)れる」という類だ
引用:松下大三郎著「標準日本文法」P330
同著が発行された大正13年(1924年)当時、すでに「ら」を省略する表現についての言及がされています。
これらを考えると、「ら抜き言葉」は大正末期には耳にされるようになり、昭和に入り戦後、広く増加していったと考えられています。
「ら抜き言葉」が文法上発生する条件
文法的に見ると、「ら抜き言葉が」が発生するのは、多くの場合次の2つです。
・動詞の活用が「上一段活用」「下一段活用」のとき
・可能の意味を表す動詞のとき
それぞれについて、詳しくお伝えします。
動詞の活用が上一段活用・下一段活用のとき
上一段活用と下一段活用の動詞の場合は、「られる」をつけるのが正しい用法なのですが、そのときに「ら」が抜けてしまうのが「ら抜き言葉」です。
上一段活用は、動詞の後ろに「ない」をつけたとき(動詞を未然形にしたとき)に、直前の母音が「イ行」で終わる動詞のこと。
例えば、「着る」という動詞に「ない」をつけると「着ない」となり、「ない」の直前が「キ」(イ行)なので「上一段活用」です。
この場合、正しい日本語では「着『ら』れる」としなければいけないのですが、「ら」が省略されて「着れる」となってしまいます。
動詞を未然形にしたときに、直前の母音が「エ行」で終わるのが下一段活用。
「食べる」の場合、「食べない」となり、「ない」の直前が「べ」(エ行)なので下一段活用です。
正しくは「食べ『ら』れる」とすべきところを、「ら」が抜け落ちて「食べれる」と「ら抜き言葉」になってしまいます。
動詞を未然形にしたときに、直前の母音が「ア行」で終わる五段活用の場合は、「ら」を抜いた「れる」を入れる(可能動詞)のが正しいので「ら抜き言葉」とはなりません。
活用方法 | 見分け方 | 具体例 |
---|---|---|
上一段活用 | 後ろに「ない」をつけたとき、直前の母音が「イ」 | 着る/見る/起きる |
下一段活用 | 後ろに「ない」をつけたとき、直前の母音が「エ」 | 蹴る/教える/食べる |
五段活用 | 後ろに「ない」をつけたとき、直前の母音が「ア」 | 行く/読む/書く |
可能の意味を表すとき
助動詞の「れる」「られる」には、「受け身」「自発」「尊敬」「可能」の4つの意味があります。
受け身 | 自分の意志に関係なく、他者から何かをされてしまうこと |
自発 | 意識することなく、自然と動作をしたり、何かを思ったりすること |
尊敬 | 身分の高い人への敬意を表すこと。敬語表現。 |
可能 | 動作ができること |
ここで問題なのが、「尊敬表現」と「可能表現」の違いが分からないこと。
例えば…
「社長、明日は何時に来られますか?」
この文章は、「何時にいらっしゃいますか?」という意味の「尊敬表現」か「何時に来ることができますか?」という「可能表現」か分かりません。
そこで、「可能表現」のときだけ「ら」を抜いて、「何時に来れますか?」とすることで意味を分かりやすくする使い方です。
よく使われる「ら抜き言葉」一覧
日本語の動詞はほとんどが「五段活用」なので、「上一段活用」や「下一段活用」などはあまり多くありません。
そのため、「ら抜き言葉」としてよく使われる表現も、ある程度決まっています。
上一段、下一段のほかに「カ行変格活用動詞」もよく「ら抜き言葉」で使われます。
ちなみに、カ行変格活用動詞は「来る」の一語しかありません。
まずは、以下の一覧にある言葉を覚えて、ライティングやビジネスメールなどを書く際にチェックしてみてください。
動詞 | ら抜き言葉 | 正しい表現 |
---|---|---|
着る(上一段活用) | 着れる | 着られる |
起きる(上一段活用) | 起きれる | 起きられる |
見る(上一段活用) | 見れる | 見られる |
食べる(下一段活用) | 食べれる | 食べられる |
決める(下一段活用) | 決めれる | 決められる |
寝る(下一段活用) | 寝れる | 寝られる |
止める(下一段活用) | 止めれる | 止められる |
投げる(下一段活用) | 投げれる | 投げられる |
超える(下一段活用) | 超えれる | 超えられる |
来る(カ行変格活用) | 来れる | 来られる |
「ら抜き言葉」の見分け方
ここまで、「ら抜き言葉」がどういうものかをお伝えしてきました。
では、実際に文章を書いているときに、「ら抜き言葉」になっていないかどうかの簡単な確認方法を3つご紹介しましょう。
文章内で「れる」や「られる」を使う場面があれば、ぜひ活用してみてください。
「~よう」に置き換える
まずは、動詞についた「れる」を「勧誘」する表現の「〜よう」に置き換えてみてください。
それで意味が通じるなら「ら抜き言葉」です。
食べれる→食べよう(勧誘)
決めれる→決めよう(勧誘)
どちらも、意味が通じるので、これらは「ら抜き言葉」だと分かります。
「遊べる」の場合は、「勧誘」の形にすると「遊べよう」とはならず「遊ぼう」となるので、「ら抜き言葉」ではありません。
「~ない」に置き換える
「〜よう」と同じように「れる」を「〜ない」に置き換えて、動詞を未然形にすることでも判断できます。
食べれる→食べない
寝れる→寝ない
どちらも意味が通じるため「ら抜き言葉」です。
しかし、「乗れる」とか「走れる」に「〜ない」を置き換えて「乗ない」「走ない」では意味が通じないので、「ら抜き言葉」とは違います。
「ら」を足してみる
文中に「動詞+れる」が出てきたときに、間に「ら」を足してみても見分けることができます。
「まだ投げれる?」
という文章に「ら」を足すと、「まだ投げ『ら』れる?」となり、意味が通じるので「ら抜き言葉」です。
そのほかにも、「食べれる」は「ら」を足すと「食べ『ら』れる」で意味が通じるので、これも「ら抜き言葉」ですね。
「ら抜き言葉」は悪いと指摘される理由
こうした「ら抜き言葉」は、大正時代から使われ続けている表現にもかかわらず、文化庁は「現時点では認知しかねるとすべき」としています。
また、ライティングやビジネス文章でも使ってはいけない風潮がいまも残っています。
なぜ「ら抜き言葉」は悪いとされているのでしょう?
相手を不快にさせる可能性
原因の一つが、「ら抜き言葉」のよし悪しの判断が人によって違っていることです。
「まったく問題ない」と考えている人もいれば、「絶対に間違えている」と認めない人もいます。
そのため、相手によっては「不快だ」という印象を持つ人もいることを認識しなければいけません。
記事のライティングや公式の文書、仕事でのコミュニケーションの場などでは、できるだけ「ら抜き言葉」の使用は避けるのがいいでしょう。
文章で用いると社会的評価の低下
文章を売り物にしているWebライターが、「ら抜き言葉」を知らずに使っていたりすると、書いている内容の信頼性も評価も下がってしまいます。
企業の公式サイトなどの文言で「ら抜き言葉」が使われていても、同じですね。
また、学校や塾の国語教師も同様です。
文章に書く場合は避けるようにしても、会話の中で「ら抜き言葉」が出てしまっては、やはり教師としての説得力に影響してくるでしょう。
「ら抜き言葉」はカジュアルな場面では認められつつありますが、公式の場で使うと社会的な評価に影響するのが現状です。
日本語そのものが崩壊するリスク
言葉は時代とともに変化するものです。
同じ単語でも、昔と現代とでは書き方や使い方が異なるケースがたくさんあります。
例えば、「あわれ」という言葉は、いまでは「かわいそう」という意味ですが、昔は「かわいい」などの意味で使われていました。
そうした言葉の意味が時代とともに変わるのは、ごく当然のことです。
しかし、「ら抜き言葉」は、言葉の「意味の変化」ではなく、日本語の「文法の変化」です。
つまり日本語の根幹をなす枠組みが崩れてしまうということ。この流れを放置することは、日本語という言語そのものの崩壊につながる危険があるという意見もあります。
「ら抜き言葉」が間違いでないと主張される根拠
「ら抜き言葉」のよし悪しは人によって受け止め方が違うと説明しました。
そのため「ら抜き言葉」は正しいとする意見もあります。
そこで今度は「ら抜き言葉」は間違いでないと主張する理由を見てみましょう。
紛らわしい表現を分かりやすくする
先述のように、「ら抜き言葉」は「可能表現」と「尊敬表現」を区別して、分かりやすくするために生まれた表現という側面もあります。
つまり単に文法が乱れたから生まれたのではなく、明確な理由があって生まれたというわけです。
確かに「見られる」だけでは、文脈から判断しないと尊敬か可能かの判断ができません。
そこで可能表現の場合は「見れる」、「尊敬表現」の場合は「見られる」と区別することで、混乱を防ぐことができます。
そのため、混乱を防ぐための使い分けというのが、「ら抜き言葉」は決して間違いではないという主張の根拠の一つです。
世間に広く浸透している
令和2年に文化庁が行った「国語に関する世論調査」で、「ら抜き言葉」の「来れる」や「見れる」と使う人の方が、「来られる」「見られる」を使う人のほうより多かったという結果が出ました。
つまり、世間では「ら抜き言葉」のほうが、本来の正しい使い方よりも、広く浸透していることが分かります。
多くの人が使っているのを見聞きすることで、さらに使う人が広がっていることを考えると、もはや「ら抜き言葉」は間違いとは言えないという見方もできるでしょう。
「ら抜き言葉」は本当に間違いなのか
「ら抜き言葉」がいいか悪いかの判断は分かれるところですが、では、正しいかどうかとなるとどうでしょうか?
いまの日本語文法から見ると、「ら抜き言葉」は間違いと言えます。
しかし、これだけ普及してきた表現を、今の文法だけに照らし合わせて「絶対に間違い」と一刀両断していいのか?という判断は難しいところです。
そこで、幾つかの資料などから、「ら抜き言葉」は使うべきか、避けるべきかを見ていきましょう。
文化庁の調査結果
まずは、先に紹介した文化庁の「国語に関する世論調査」をもう少し詳しく紹介します。
「次の2文では、どちらを使いますか?」という問いに対する回答比率です。
・朝5時に来られますか=46.4%
・朝5時に来れますか=52.2%
・今年は 初日の出が見られた=46.2%
・今年は初日の出が見れた=52.5%
どちらも「ら抜き言葉」を使う人のほうが多いことが分かります。
この調査は令和2年のものなので、いまではもっとその割合が増えているかもしれません。
また、同じ文化庁の「言葉遣いに関すること」という調査には、「ら抜き言葉」について以下のように書かれています。
①話し言葉か書き言葉かによっても、違う面があること。
引用:言葉遣いに関すること|文化庁
②一段動詞全体のどこまで及ぶか。語形の長さや使用頻度、また、活用形によって、「ら抜き」化の程度が異なると思われること。
③北陸から中部にかけての地域及び北海道など、従来「ら抜き言葉」を多く使う地域があるといった地域差の問題を考慮する必要があること。また、近年は東京語自体も様々な地域の言葉の流入によって変化しており、「ら抜き言葉」の方がリズムやスピード感があってよいとする声もあること。
難しい言葉が使われていますが、簡単に言うと
①話し言葉ならいいけれど、書き言葉ではまだ厳しいのでは…
②使われる動詞の種類によって、OKの場合とNGの場合があるのではないか…
③北陸や中部、北海道などは「ら抜き言葉」が方言として日常的に使われている地域もあり、東京にも流入している。それに、「ら抜き言葉」のほうがリズムがスピーディでいいのでは…
つまり、「ら抜き言葉」が正しいか間違っているかは明言しておらず、あいまいにしているのが現状です。
文学作品や歌詞にみられる「ら抜き言葉」
では、多くの人に親しまれている文学作品や歌詞の中では、どれぐらい「ら抜き言葉」が使われているのかをチェックしてみます。
文学作品
「ことしは見れると思って来た~」(太宰治「服装に就いて」1941 年)
「もう雑役夫は来れないそうだ。」(大江健三郎「死者の奢り」1957 年)
歌詞
「あれから ぼくたちは なにかを信じてこれたかな」(SMAP「夜空のムコウ」)
「今までやってこれたよ」(槇原敬之 「遠く遠く」)
「もう見れないの あの眩しいブロンズの肌」(松任谷由実 「遠雷」)
このように、著名な文学作品から現代の歌詞まで、「ら抜き言葉」が使われていることを考えると、もはや間違いとも言えないのかもしれません。
ライターはメディアのルールに従う
ここまで見てきても、「ら抜き言葉」を使っていいか悪いか、正しいか誤りかの判断は難しいところです。
書き慣れたライターなら、ある程度は自分で判断できますが、初心者ライターの場合は、基本的には文章が掲載されるメディアの基準(規範)に従うようにしましょう。
ほとんどのメディアは、テーマや読者層、対象の業界に合わせた表記ルールを設けています。
年配者向けのメディアなら、文法にも厳格な規定を設けているかもしれません。
しかし、逆に若い世代向けのメディアなら、あまり厳格な日本語では読んでもらえないので、「ら抜き言葉」もありの緩いルールのところもあります。
自分だけで判断せずに、各メディアのルールに従えば、間違いありません。
「ら抜き言葉」に関するよくある質問
では最後に「ら抜き言葉」についてのよくある質問にお答えしていきます。
「ら抜き言葉」を見分けるツールってあるの?
もっともポピュラーなのは「Word」に標準装備されている「文章校正」機能を使うことです。
Wordの「オプション」>「文章校正」>「Wordのスペルチェックと文章校正」の「文書のスタイル」で「通常の文章」を設定すると「ら抜き言葉」をチェックしてくれます。
それ以外では、「Enno」や「Shodo(ショドー)」という文字校正ツールは無料で使えて、高い精度で「ら抜き言葉」を拾ってくれるのでおすすめです。
また、「ChatGPT」を使って「『ら抜き言葉』を指摘してください」のようなプロンプトを入れることでも、見つけることができます。
「ら抜き言葉」を使う方言があるの?
そもそも東京などの都市に「ら抜き言葉」が広まった一つの要因は、地方から人が集まり、その人たちの方言が都市に定着したことが挙げられます。
例えば、中部や北陸、東北などで「テレビが見れん」とか「そんな朝早うには、起ぎれん」のように「ら抜き言葉」が使われています。
また、関西では「やってられない」というところを「やっとれん」と「ら」を抜いて使います。
しかし、いずれも話し言葉であって、地方であっても、文章にするときには「ら」を入れて書くのが一般的です。
「ら抜き言葉」以外の「〇〇抜き言葉」ってあるの?
よく見聞きするのが「い抜き言葉」です。
例文
○○しています→○○してます
話しています→話してます
ちゃんと食べている?→ちゃんと食べてる?
「抜き言葉」とは逆に「さ入れ言葉」というのもあります。
これは五段活用動詞で「せる」と入れるべきところで「させる」のように『さ』を入れてしまう表現です。
例文
行かせる→行か『さ』せる
手伝わせてください→手伝わ『さ』せてください
休ませていただく→休ま『さ』せていただく
ら抜き言葉を理解して読みやすい文章を書こう
いまでは日常的に使われる「ら抜き言葉」ですが、正しいかどうかは判断が分かれるところです。
しかし、どのような文章もできるだけ分かりやすく情報を伝えることが目的です。そのためには、「ら抜き言葉」は避けるのがいいでしょう。
特にビジネス文書や、多くの人が読む記事の場合には、「ら抜き言葉」は使わないようにしましょう。
あるいは、メディアに掲載する場合は、そのメディアが定めたルールに則って使い分けるようにしてください。